『サステイナブルに暮らしたい』の本の中にも書きましたが、わが家は毎晩子どもと長めの本を読むのが恒例。「絵本」よりもずっと長い数百ページの児童書を図書館でどんどん借りてきて、1週間くらいかけて読み切っていきます。SDGs的な視野も意識の端に忍ばせて、なるべくふだんの日常生活から一歩踏み込んだ話を読みたいと思っていて、毎晩親子でいろいろな世界の中にトリップしています。(本やインスタグラムに書いた「簡単語訳」については↓目次をご覧ください)
目次
▶最近たのしかった本
冬休みから1月にかけて、小2の末っ子と読んだのはこちら(どれもそれぞれ甲乙つけがたくおすすめ!)。
- 『リキシャ・ガール』(ミタリ・パーキンス/鈴木出版)
- 『タイガー・ボーイ』(ミタリ・パーキンス/鈴木出版)
- 『フィッシュ』(マシューズ/鈴木出版)
- 定番の『ワンダー』&『もうひとつのワンダー』(ほるぷ出版)
- 『テラプト先生がいるから』(静山社)
そして今は『ルイジアナの青い空』(白水社)を読んでます。
発展途上国のお話、差別があった時代のお話、差別されている人が出てくるお話は、大人が読んでもすごく響いてくる部分があって、上記も、初めて借りた2冊以外は全部リピート読みです(=上の子と読んだ時にすごく心に残ったので、親の自分がもう一度読みたくて、下の子に読む口実で再び図書館から借りてきた)。
★中でも『フィッシュ』は凄みのある傑作で、うちの子も金縛りにあったように聞き入ってましたが、最後の方に一瞬本気でコワいシーンが出てくるので、小さいお子さんの場合はそこだけ若干注意してください。あと『ルイジアナ』はいきなりファーストキスが出てきたので、そこは大慌てですっ飛ばしましたけど。
いわゆるSDGs本は、子ども向けに良書が増えている印象はありますが、パラパラ手に取ってみる限りではどうしてもお勉強っぽい本が多いので、たのしく読むにはやっぱりこういう物語系が最高。とりあえずはあれこれ考えずに広い世界を感じてほしい。そして、自分で自由に実感を深めてほしいなって思います。
★鈴木出版の「この地球を生きる子どもたち」のシリーズは、すごく良書が多くてヒット率が高いので、わが家では登場回数がとても多いです。
うちも自営業なので、ふだんは「遊ぼ♡」なんて言われても、どうしても「今は無理!」とか「●時までは静かにしてて!」みたいになりがちなので、寝る前のベッドサイドでの読書の時間は掛け値なしの至福タイム。きわめて限定的な親の愛をこれ見よがしに注げる時間でもあるし、しかも自分にとっても、続きが気になって仕方ない読書の時間になるので、一石二鳥です。
あとは、本の力を借りるからこそ、「こんなにおもしろいストーリーを子どもに披露できる親」に一時的に変身できているわけで、しかも「読むだけ」でそれができてしまうというマジック(=自分で創作するとか絶対無理なのに)。本のお陰で、親としてつかの間の全能感をもらってます。
▶「簡単語訳」はこんな感じ
踏み込んだ内容の作品を、子どもに継続的にたのしく聞いてもらう僕なりのポイントは、「簡単語訳しながら読む」です。・・・と、うちの本に書いたら、「簡単語訳ってどうやるんですか?」という声が複数寄せられました。いざ聞かれると恥ずかしいような、大したことない方法ですが、こんな感じです。
(原文) ザッパーン! ザッパーン! ふたりの少年が制服をぬいで、池にとびこんだ。取っ組み合いをしたり、しずめ合ったりして、ふたつの頭が見えかくれしている。 「競争だ!」アジェイが声を上げた。 ニールは、やせっぽちの友だちのうしろを、カワイルカみたいに速くなめらやかなつもりで泳いだけれど、負けることはわかっていた。 一月にしてはいつもの年よりずっとあたたかい。それに、一日のうちでも一番気温が高い午後三時だった。家で勉強しなくちゃ。ニールの勉強が遅れていることを、担任の先生は心配していた。四月にだいじな試験があるのに、算数の成績が上がらないのだ。(『タイガー・ボーイ』冒頭)
→(簡単語訳) ザッパーン! ザッパーン! ふたりの男の子は服をぬいで、池にとびこんだ。取っ組み合いをしたり、しずめ合ったりして、キャッキャキャッキャ大騒ぎ。 「競争だ!」アジェイがさけんだ。(これはふたりの男の子のうちのひとりの名前ね) ニールは(これはもうひとりの子の名前ね)、一生懸命はやく泳いだけど、どうせいつも負けてしまう。もうひとりのアジェイの方が泳ぐのは上手だから。 一月だけど、ずいぶんあたたかい。今は昼の3時。家で勉強しなきゃ。でも、ニールは最近勉強がイマイチで、担任の先生も心配してる。4月にだいじなテストがあるのに、算数がどうしてもできないのだ。
・・・「ザ・適当」なので、あんまり細かく見ないでください。「これがベスト」というようなものではもちろんなくて、むしろ「口から出まかせ」に近い感じです。
要は、「なるべくわかりやすく言い換えたり、補足しながら読む」ということに尽きます。基本はそのまま読んでいきますが、 難しい単語や文や段落が出てきたら、すかさず、
- 簡単な言葉に言い換える
- ゴッソリ省く
- 時には勝手に内容を作り変える(子どもの興味に合わせて、もっとおもしろく/もっと単純に…)
のいずれかで対処します。そして、何事もなかったかのように読み進めます。あとは、数十ページも音読するので、当たり前ですがかなり疲れます。真面目に読んでいると舌も回らなくなってくるので、「わざわざ読まなくてもいいかな…」と思う語も、親の疲労軽減のためにことごとく省略、「口が疲れる」と思った語もどんどん発音しやすい語に変えてしまいます。
気を付けているのは、とにかく「子どもがたのしめること」。それを何よりも優先します。たのしくなければ、何の意味もない。だから、「書いてあるとおりに読むこと」とか、「作品を正しく理解すること」とかには何の価値も置いていません。
ある意味、作品へのリスペクト”ゼロ”だし、いわゆる「難しい本に心を鷲づかみにされる」とか、「新しい言葉に出会う」とか、そういう読書の偉大な体験の可能性はすべて捨て去っていますが、そういうのは、そのうち自主的な読書の中で勝手に獲得してくれればいいかな、と。
でも、作品の価値を軽く見ているつもりもなくて、むしろ、作品のおもしろさには全幅の信頼を置いているというか、「どの本も絶対におもしろいので――でもそのおもしろさが表面的な文字のむずかしさに覆い隠されてしまっているので――それが子どもにいちばんダイレクトに伝わるように、親目線で噛み砕いて、口移しさせてもらっている」というような感覚です。
ぜひ試してみてください。この方法だと、「もう少し大きくならないと難しいかな…」と思う本や、「なかなか自発的に読んでもらうことは期待しにくいな…」と思うような本も、びっくりするくらい無理なくたのしんでもらえます。簡単語訳、最初はやりにくく感じるかもしれませんが、どんどん慣れてきて上手になります。そして、親自身、物語を「再構築」しているような、「生きなおしている」ような、不思議な手ごたえが出てくるんです。そういう意味では、単に字面どおりに受動的に読み聞かせるよりも、遥かに主体的でダイナミックな読書になっている、というような効果もあるかもしれません。
上の子の経験だと、読み聞かせは小3~小4くらいで卒業してしまうかな・・・と思うので、「あと何冊読めるかな…」と思いながら、毎晩毎晩、心からたのしみに読書時間を過ごしています。