美しい本です。しかし、中身はすごいです。このギャップがいい。訳書『ギフトエコノミー 』でお世話になった青土社の編集者・福島舞さんと篠原さんが出された本『私たちはなぜ犬を愛し、豚を食べ、牛を身にまとうのか』(←すごいタイトル!)、読了しました。読めてよかったです。
原書はアマゾンレビュー700件超え、17ヵ国語に訳されているという話題作。題名からわかるとおり、「肉食」を論じる本です。それも、心理学博士の女性が心理学的な視点から肉食を論じるというユニークな1冊。序文はユヴァル・ノア・ハラリさん。 #ベジ や #ヴィーガン 、 #プラントベース の方々はもちろん、より一般的な<食をめぐる文明論>としても興味深く読める1冊だと思います。
最近は、肉食による環境負荷が広く知られるようになってきました。大量の安い肉をつくり出すために、世界中ですさまじい数の家畜が飼われ、(食料危機にも関わらず)莫大な量の穀物が<単に家畜のエサとして>育てられていること。農薬や遺伝子組み換えもどんどん使い、想像を絶する面積の自然環境や水資源が肉食のために食いつぶされているということ。
家畜の<飼われ方>の問題点も知られはじめています。狭い檻に閉じ込められ、品種改良や人工的な飼料によって病的に太らせられ、不自然な量の卵や乳を搾り取られて、安全のために麻酔なしで角やくちばしまで切断されて、一歩も外界に出ることなく工業製品のような一生を終える家畜たち。<不都合な真実>なので、通常は消費者の目に入らないように隠されている部分ですが、思わず「えっ!?」と絶句してしまうような現状がスタンダードとしてそこに存在しているらしい。しかも、<昔からそうだった>わけではなく、<こんなにも多くの肉をみんなが食べたがる>からこそ――。
僕自身は、肉食は人間にとって根源的な営みのひとつだという気はするし、今後も肉食をバッサリ切り捨てる気にはなりません。とは言え、現代の肉食の形はあまりにも不自然な地点に来てしまっている気はする。<食品ロスで捨てられる肉>なんて悲しすぎるし、やはり現代人は<必要を超えて>肉を飽食しすぎている気はする。
そんな構図への加担を減らしたくて、肉の消費は常に控えめを心がけ、なるべく配慮された肉を選び、<大切なものとして>肉を食べたいと考えています。人間の原点としての神聖な肉食はもはや手の届かない遠くにあるけど、せめてそんな遠い記憶の断片くらいは失わないようにしたい。バランスを欠くほどに肥大化した肉食産業に、欲求のままに乗っかる自分ではいたくない。
こうした諸問題を、さらに俯瞰的に突き詰めて、「なぜほとんどの人は自分の手で生き物を殺すことを嫌悪するのに、人の手で殺された肉を口に入れることには嫌悪感を覚えないのか?」「なぜ犬や猫は家族のように愛玩するのに、豚や鶏は食べても平気なのか?」といった深層心理的な地点まで論じているのが本書です。これは興味深い。そして、「どのようなメカニズムによって肉食が必要以上に正当化され、不都合な真実が隠されてきたのか?」
著者は<絶対ヴィーガン主義者>なので、肉食の価値をちょっとも認めていません。それは個人的には少し居心地が悪く、この本の主張に心から共感することは難しいですが、こういう視点に触れることで大きな気づきをもらえるのはたしかです。
<家畜をモノのようにぞんざいに扱う心理>が、人種差別や奴隷制度、女性差別などの歴史との対比から読み解かれているのもすごい。どうなんだろう? あまりに過激な気もするけれど、的を得ている部分もある。「殺生は人間としての自然な営みと言えるのか?」、それとも「(戦争や差別などと同様に)忌むべき本能なのか?」――どこまで賛同するかは別として、立ち止まって考え込んでみることには意味があると感じます。ちなみに僕自身の立場は、著者がこっぴどく批判している「エコカーニズム」~菜食には賛同するけど、肉食も自然な営みであり、より倫理的に食べることが大切だと考える~です、今のところ。(攻撃されちゃうなぁ…)
ベジに対する理解が圧倒的に薄い日本で、この感じの本が果たしてどのくらい拒否感なく受け入れられるか、というのも興味深いところ。2860円と値段が高いので、買える人が限られてしまいそうなのも心配ですが・・・「高すぎる!」と思う方は、こんな時こそ、ぜひ図書館リクエストをして公共の知の充実に貢献を! 図書館は全国に数千もあるので、買ってくれる図書館が増えるだけでも、本にとってはとてもありがたいことだと思いますよ。