子どものごみはどう減らす?~わが家の基本5か条

子どものごみは、ゼロウェイストやプラスチックフリーを目指す暮らしの中で、もっとも厄介な領域のひとつかもしれません。学校や保育園など社会的な制約との絡みもありますし、わが家もごみを減らし始めた当初は、「ああ、子どものごみさえなかったら、わが家のごみ、ほとんどなくなるのに…」と恨めしく感じる瞬間が多々ありました(正直、今でもそう思います)。

でも最近はどこか吹っ切れて、むしろ、「子ども付きのゼロウェイスト&プラスチックフリー」をたのしんでいる自分がいます。決して、「子どものごみ問題が解決した」わけではありません。依然として、出てほしくないごみも頻繁に出ます。でも、確実に前進していると思えるし、何より、内面の部分で「いちばん大切なものをつかめた」感があります。それは妥協や諦めではなく、ゼロウェイスト&プラスチックフリーのお陰で、より子育てがたのしくなっているようなワクワクした感覚です。

まだ子育て真っ最中のわが家が、この数年間、心がけてきて「よかったな」と思える5カ条をご紹介します。


▶「今のごみを減らす」→「将来ごみを減らせる子に育てる」

まず、いちばん基本となるスタンスについて。「子育てのゼロウェイスト&プラスチックフリー」と言うと、つい「子どものごみをどれだけ減らせるか」に目が行きがちですが、いちばん大事なのは「今のごみを減らすこと」ではなく、「将来ごみを減らせる子に育てること」。これを意識するだけで、視界がガラリと変わります。気持ちはぐっとラクになります。

もちろん、今のごみを減らす工夫も大切です(本当に様々な工夫が可能です)。でも、無理をする必要はありません。子どもには、ごみ以外に大切なことだってあるし、わずかなごみの削減のためにほかの大切な学びやバランスが阻害されるようでは困るのです。何より、子どもが「自分でごみを減らせる大人」に育ってくれたら、その方がごみの減量効果も遥かに大きいはず。そんな“効果抜群の未来”をまっすぐに見据えると、子育てのゼロウェイスト&プラスチックフリーは「厄介」どころか、俄然たのしくなってきます。

それでは、わが家の5か条、スタートです!


▶その1.モノを減らす

ごみやプラスチックのことを考える前に、まずいちばん最初に考えたいのがこれ。おもちゃも、服も、とにかく「量を減らす」に限ります。そのパワーは絶大です。

思うに、子どものごみ問題のほとんどの元凶は「多すぎること」。安物のおもちゃがあり過ぎるから、部屋は散らかるし、大切にしないし、すぐに壊れてごみになる。これでは、ごみの発生を防ぎようがありません。しかも、「たくさんある状態」に慣れてしまって、すぐに別のものが欲しくなる。まさに悪循環です。

モノが減れば、部屋はすっきりします。すっきりした部屋は心地よく、親は「片づけなさい!」とガミガミ言う必要もありません。親にガミガミ言われず、整った部屋ですっきりと過ごす ―― これは子どもの発達に絶対プラスのはずです。

また、モノが減ると、ひとつひとつのモノが「よく見える」ようになります。『ゼロ・ウェイスト・ホーム』の著者ベア・ジョンソンの言うとおり、モノを減らす目的は、「子どもから奪うこと」ではなく、「大好きなものを見つけやすくしてあげること」。そう、子どもは「たくさんのおもちゃや服」をすべて心から大切にしているわけではないのです。数が少ないと、逆に、本当に大切なものが存在感を放つようになります。

わが家は最近、子どもたちと一緒に、「こんまり」こと近藤麻理恵さんのネットフリックス番組「人生がときめく片づけの魔法」を見ました。モノに溢れるアメリカの家庭を、近藤麻理恵さんが次々にすっきりと変身させていくエンタテイメント性抜群のドキュメンタリーです。

この番組、教育効果バッチリでした。スイッチが入ったのは末っ子(小1男子)。それまでは洋服の引き出しはグチャグチャの極み。それが今や、常時この通り!

写真にするとそれほどパッとしないかもしれませんが、小1男子の自己管理にしては極上だと思います。

親が手伝ったのは最初の1回だけ。「パンツがない~!」「靴下がない~!」といったトラブルも一切なくなりました。本人も「親に頼らなくてもきちんとコントロールできている」という並々ならぬ自信を得ているように感じられます。

モノを減らして、自分で大切に管理する。これはごみ削減の準備段階に欠かせないプロセスです。そして、それは単に入れ物の衣装ケースをプラスチックフリーな素材に買い替えることよりも(もちろん変えたいとは思っていますが)ずっとパワフルであるように感じます。


▶その2.伝える

お次はこれ。 「ごみを減らそう」「プラを避けよう」と思うなら、たとえ小さな子でも、「なぜ」「どうして」を伝える必要があります。それなくしては、本当の変化やアクションは望めません。伝える内容にはいくつかのパターンがあると思います。

➀理由を伝える

ごみの分別がなぜ必要か? プラスチックはどんな問題を引き起こすのか? これらは小学校や保育園ではこまかく教えてくれないため(残念至極!)、親が自分で伝えるしかありません。専門的知識は不要。ごく大まかな事実を、子ども目線で伝えれば十分だと思いますが(わが家もそんなにすごいレベルのことを伝えられているわけではありません)、いきなりお勉強のように説明しても、子どもが目を輝かせてくれる可能性は低いです。これまでの経験から「伝わりやすい」と感じたパターンは ――

個人的には、子どもとの本や映画の時間がたのしくて仕方ありません。特に、最後に挙げた「題材は広く」がわりに重要な気がしています。いろいろな社会問題を知ることで、「情報を受け取る脳が育つ」と言うか、ごみやプラのことだけを伝えるよりも、問題のエッセンスが伝わりやすくなるような気がします。

最近は、藤原ひろのぶさんの『買い物は投票なんだ』や、映画『ザ・トゥルー・コスト』などを見てから、実際に部屋の中の洋服のタグをチェックして、その大部分が発展途上国で作られていることを確認して驚いたり、映画『あまくない砂糖の話』を見て、おやつの砂糖の量を客観的に振り返ったり。こういった時間はすごく貴重で、そのトータルの中で、ごみ問題やプラ問題もごく自然に吸収していってもらえるような気がしています。

➁やり方を伝える

知識を伝えるだけではアクションに結びつかないので、「では実際にどうすべきか?」も提示できると効果的です。たとえば、わが家が心がけているのは ――

などなど。ごく初歩的なことばかりですが、そのくらいでも子どもには十分に意味があるように感じます。「路上のごみを拾う」は、親が思う以上にヒットしたらしく、今では率先して「あ、ごみだ! マイクロプラになる!」と拾ってくれるようになり、誇らしいことこの上ないです(いつまで続くかわかりませんが、この瞬間をたのしみたいと思います)。

子どものための「分別スペース」。所帯じみてますが…。「いちばん出る3品目」のみを分けてもらうようにしています。

③悩みも伝える

どれだけ工夫しても、家庭のゼロウェイストやプラスチックフリーは完璧には行きません(これは事実)。親としては「どこまでやるか」、多少のジレンマは不可避です。そんなジレンマを、いっそ包み隠さずに子どもに伝えてしまうと、全体がよりうまく行く気がします。「親が完璧なシステムを準備して従わせる」のではなく、「親子で一緒に試行錯誤しながら取り組んでいく」イメージです。 たとえば、出先で、

親:「あー! お肉を買うのに、容器を持ってくるの忘れた! パック入り買うの嫌だな。どうしよう…」
子:「そうだね。。。でも、いつもじゃないし……今日はいいことにしたら!?」

・・・と、こんな風に、理想通りではないシナリオを、子どもに認めてもらってくぐり抜けることがわが家はよくあります。こうすると、親も全責任を背負い込まなくてすむと言うか(別に責任転嫁ではないのですが)、子どもの共感が確実に力になるし、それによって、子どもの側も、「理想」と「現実」の両輪を体感してくれたらいいなと思っています。エコって、結局はその両輪のバランスをつかむことだと思うので。。。

悩みを隠さずに伝えていると、子どもの方も親の欲求をより正確に理解してくれるようになります。先日は、仕事でラベルシールを何枚も印刷していたら、子どもが「本当はこのシールの台紙もごみにならないといいのにね…」と声をかけてくれました。こちらは何も言っていないのに、そこまで思いを馳せてくれたことにビックリ。これはもう(完璧には程遠い現実とは裏腹に)ゼロウェイストやプラスチックフリーの本質を相当レベルまで理解してくれているサインだなと、喜ばしく思ったのでした。


▶その3.盛り上げる

ゼロウェイストやプラスチックフリーのアクションは星の数ほどあれど、子どもに関していちばん効果が大きいと感じるのは、「親と一緒にやること」、そして「たのしいこと」です(当然か…)。なので、わが家は、何らかのエコアクションをする際はできるだけ「おたのしみ感」が出るようにしています。そうすると、親の方もたのしくなります。

たとえば、マイ容器を持参するとき。「今日はとっておきの唐揚げにするから、忘れずに肉屋さんに容器を持っていくよー!」「今日はパン屋さんでひとり1個ずつ好きなパンを買っていいよ! あれ、パンを入れる竹かごはどこだっけ???」(※パンを竹かごで買うすばらしさについてはこちら)などと言っていると、子どもが大喜びでマイ容器を準備してくれます。

手作りも極力一緒にたのしみます。料理、お菓子作りのほか、歯みがき粉づくり、糊づくり。どれも、「面倒くさい」と言えば超面倒くさいですが、「子どもとたのしむ教育的時間」と思えば、これ以上の教育的時間はありません(夏休みの自由研究におススメです!)。畑も、子どものMyガーデンを作ってもらい、そこに育った野菜は、持ち主の許可を得て収穫します。そしてみんなでありがたくいただきます。子どもが摘んできた花はわが家でいちばんの地位。ゼロウェイストの野の花を、テーブルや玄関に飾ります。こんなささやかな一コマの積み重ねで、子どもが自己肯定感や自信を深めて、ゼロウェイストやプラスチックフリーに「いいイメージ」を持ってくれたらいいな、と願っています。

子どもが摘んできてくれるゼロウェイスト花束は、季節の最高の贅沢のひとつです。

▶その4.選ばせる

子育てって本当にむずかしくて、全然思い通りにはなっていないのですが、ひとつ「絶対に心がけなければいけない」と思っているのが、「子どもに選択権を与えること」。また詳しく紹介したいと思っていますが、『セルフドリブン・チャイルド』(NTT出版)というすごい育児本を読んで以来、わが家はその重要性を最上位に捉えています。

「選択権を与える」と言っても、未熟な子どもに「好き勝手に選ばせる」という意味ではありません。大切なのは「informed decision」(=十分な情報を与えた上での決断)。いろいろな選択肢と、その意味や帰結を伝えた上で、本人に最終決定をゆだねるのです。

ゼロウェイストやプラスチックフリーで言えば、新たに買う子ども用品は、極力子どもに選択権を与えます。歯ブラシなら、竹の歯ブラシとプラスチック歯ブラシ。リコーダーなら、木のリコーダーとプラスチックリコーダー。上履きなら、天然ゴムの上履きとプラスチックの上履き。リュックサックなら、パタゴニアのリュックと安売りのリュック。その他、消しゴム、筆箱、絆創膏など、すべてエコロジカルな選択肢を示した上で、最終決定は本人にしてもらいます。

子どもに自分で選んでもらったオランダ製の天然ゴムの長靴。デザインもよくて、親も大満足です。

これはすごくおススメです! プラスチックの害を知った上で、それでも敢えてプラスチックを使うことも、子どもにとっては貴重な経験だと思うし、それは彼らの正当な権利でもあると思うのです。エコロジカルな選択肢については、「普通よりも値段も高い、いいものなんだよ」という点もアピールします。そういった様々な要素を自分で天秤にかけてもらい、自由に決断してもらうことで、親は余計なコントロールをせずに済み、罪悪感なくゼロウェイストやプラスチックフリーを取り入れることができ、子どももより主体的にアクションに関わってもらえる気がします。

↓わが家が買った、手ごろな木のソプラノリコーダー

↓天然ゴムの上履きは、とりあえずはこれを(選択肢が少なかった…)

↓長靴はオランダ製の天然ゴムのものがデザインもよく、気に入っています


▶その5.価値は最大化

最後はこちら、「子どもの欲求は価値を最大化する」。これ、最高にクリエイティブでたのしい部分です。子どもの欲求 ―― それはたとえば、「袋菓子を買いたい」「プラスチックおもちゃが欲しい」「マクドナルドに行ってみたい」etc.

大人にとってはもちろんうれしくない欲求です。地球にとっても、好ましくはない。でも、経験としては必要です。「人並みの経験」は、人としての権利でもあります(ゼロウェイスト&プラスチックフリーの急進的な家庭に生まれたのが「運の尽き」となるようでは困るので…)。

というわけで、無条件にホイホイ願いを叶えるわけには行きませんが、叶えるからには、その価値は最大化します。「遠足の日だけのとっておきの喜び」として、コンビニで好きなお菓子を買う。「集落の清掃に参加したご褒美」として配布される、丸々1本のペットボトル飲料。ドキドキの入院時に買う、プラスチックだらけの旅行用シャンプーセット。使い捨てやプラスチックを安易に正当化するつもりはありませんが、「最大限に価値を享受する」のであれば、それらの環境負荷も相当程度までオフセットされると思うのです。

先日は親子でマクドナルドに行きました。必要な社会勉強です。価値を最大化するために、まずは事前学習として映画『スーパーサイズ・ミー』(=30日間マクドナルドを食べ続けたらどうなるかを記録したドキュメンタリー)を見て、さらに、味比べをするために、きちんとした美味しいハンバーガー店とマクドナルドを梯子するという一大イベントに仕立て上げました。え、巧妙なマインドコントロール!? いえいえ、これだけ予防線を張っても、やっぱり子どもはマックのコーラ(使い捨て紙コップ入りwithプラスチックストロー)に大喜びでした。それでいいと思います。何事も一歩一歩。「無自覚な消費」さえ減らせれば、それは必ずや、意味ある未来につながると信じています。


以上、わが家の「基本5カ条」をご紹介しました。子育ては偉大な任務です。細かい部分を見れば、日々は悩ましさの連続。でも、常に「遠くを見る」ことで、現状の不完全さに振り回されることなく、確実に前進できると感じています。

これだけ気を配って、果たして、わが家の子どもたちはちゃんと環境意識の高い大人に育つのでしょうか? それは神のみぞ知るところ。もちろん、エコロジカルなマインドを身に着けてくれたらうれしいですが、僕はそれすらも天にゆだねたいと思っています。

なぜって、彼らには「エコロジカルに生きない権利」もあるから。もちろん、この地球環境の危機を思えば、よりエコロジカルに生きることは人類全体の責務です。でも、それはあくまでも「人類総体としての責務」であり、「全個人が負うべき義務」ではありません(法律で定められているわけでもないですし…)。個人の人生はそれぞれ。障害、病気、貧困、介護。運命は時に重く、「ごみどころではない人生」も多々存在します。そんな中、「できる範囲でごみに思いを馳せられる」ための純粋な種蒔きとして、子どもとのかけがえのない「今」を、前向きにたのしみたいと思うのです。